EOSユーザーになる

昨年の話ですが、今更ながらアップします。
父が第8波の新型コロナウイルス感染症(直接的死因)で亡くなり、遺品整理をすることになりました。その中にCanon EOS KissX5とレンズ2本がありました。
生前、父が「人生最後の大きい買い物だ」と家電量販店に行き、消費税アップの前日(だったと思います)に買ってきたカメラでした。
父は、既にリタイアしていたので、しばらくの間、毎日KissX5をいじっていたようですが、後期高齢者目前の身には大きく重すぎたようで、買ったことを後悔しているようでした。そのうち、家の玄関付近に咲く植木の花などを撮る程度になり、出かける際には持ち歩かなくなった様です。

遺品整理中に、カメラの撮影画像を見たところ、1050カット程度しか撮影していません。しかも標準レンズは美品クラスで、望遠に至っては未使用でした。生前、父は売却したかったようですが、状態が非常に良い上に形見を処分するのは忍びないので、私が譲り受けることにしました。

EOSマウント機をどう活用しようかと悩みましたが、熟考した末、αの電池を充電し忘れて撮影できない時などの非常時用、又はロケハン用の機材とし、また、それに伴い、追加で単3アルカリ電池が使える縦位置グリップと、EOS用の高倍率ズームを購入することに決めました。

予算を1万円以下に抑えることを目標とし、縦位置グリップは、海外製の新品同様品を送料込みで3000円程度で購入しました。

使用の痕跡は見当たりません。


なお、αのデジタル一眼レフ機で単3電池が使える機種は、縦位置グリップ装着時のα-7Dijitalのみで、しかも1次電池の使用は不可です。その点では、単3アルカリ電池が使える一眼レフ機を入手できたことは僥倖でした。実際に“本気撮影”でEOS KissX5を持ち出すことがあるかもしれません。

肝心のレンズについてですが、純正品は、予算オーバーになってしまうので、レンズメーカー品に絞って選定することにしました。どうせなら、α用がラインナップされていない製品にしようと思ったので、TokinaAT-X16.5-135/3.5-5.6に決定。
EOSの場合、35㎜換算×1.6の焦点距離になるので、広角側が狭くなる代わりに、望遠側が伸びるので、35㎜換算で約26.4-216㎜になります。
用途からしても、この画角の方が18㎜スタートの製品よりも少し使いやすいかな?と思っています。なお、このレンズの購入金額は6100円でした。
但し、別途にフードを中古で購入したので、総額1万円の目標をオーバーしてしまいましたが…

 

Canon EOS KissX5とレンズ3本です。

キットレンズ2本のフードは、別途購入する必要があったのですが、手持ちの予備品の中に使えるフードがあったので、それらを転用しました。

手前が、55-250用のTokina SH-622、奥が18-55 用のTamron 1C2FHです。いずれも中古店のワゴンの中から漁ってきたものです。

 


18-55/3.5-5.6 IS(Ⅱ)には、Tamron28-80/3.5-5.6(77D)用のC2FHが装着できたもののこのフードは3本爪です。レンズは2本爪なので、嵌れば、外れる心配はほぼありませんが、着脱には苦労します。(着脱時には、レンズをMFに設定することが必須です)このフード以外に、このレンズに装着できそうな社外品フードが無さそう(気合を入れて探したわけではありません)なので、そのうちに純正フードを中古で探そうと思っています。


55-250/4-5.6 IS(Ⅱ)には、Tokina AF730(Ⅱ) AF 75-300/4.5-5.6用のSH-622を充てました。こちらはスナップ式なので、着脱は楽ですが、レンズとの固定はできません。(装着時にくるくると回転します)ただ、こちらは強い衝撃がかからなければ、脱落しないと思いますので、このまま使用したいと思っています。

テスト撮影でのカットです。

テレ側、絞り開放、最短撮影距離付近でテスト撮影。なかなかの描写に思えます。重いレンズですが… Canon EOS KissX5、TokinaAT-X16.5-135/3.5-5.6、1/250、F5.6、ISO200

浦和駅で原色に戻った東武100系を写してみました。露出補正をかけるべきでしたね…
Canon EOS KissX5、EF18-55/3.5-5.6 IS(Ⅱ)、1/100、F6.3 、ISO100

EOS KissX5で父が撮影した最後の写真です。画面端の花に寄って撮影したかったのでしょう。この頃には手が震えがひどくなり、カメラを構えるのもままならない状態でした。
Canon EOS KissX5、EF18-55/3.5-5.6、フルオート

父は、この写真を撮った翌月に、手術を受けるのですが、手術は失敗し、入退院の繰り返しを余儀なくされることになりました。手術から5ヶ月後に3度目の入院をしましたが、その翌月上旬に、看護師から新型コロナウイルスを移され、その半月後に息を引き取りました。

“青”の特急「あかぎ」

昨年12月29日に、上野19:30発の特急「あかぎ7号」を撮影してきました。
この列車は、他の特急「あかぎ」と異なり、特急「踊り子」用の増結編成である、E257-2500系がレギュラーで使用されています。

特急「あかぎ7号」です。 SONYα68 KONICA MINOLTA 28-75/2.8 (D) 1/13 F3.2 ISO125

19:00発車の特急「あかぎ5号」です。こちらは“緑”のE257-5500系での運転です。 SONYα68 KONICA MINOLTA 28-75/2.8 (D) 1/15 F2.8 ISO125

「あかぎ7号」にE257-2500系がレギュラーで使用されていることは知っていたのですが、そのうちに撮ろうと思って撮影していませんでした。

なお、平日朝の特急「あかぎ6号」にもE257-2500系がレギュラーで使用されているのですが、この日は、会社休日だったにも関わらず、朝起きるのが辛いので、またの機会に…ということで撮影にはいきませんでした。

23年春のダイヤ改正から、高崎線特急は、大宮配置のE257-5500系に置き換えられましたが、ダイヤ改正以前同様、波動輸送用との兼任であるため、全列車にE257-5500系を充当できなかったようです。この理由は、E257-5500系全5編成のうち、2編成が座席のコンセント未設置であることが影響しています。

事実、高崎線特急2種のうち、特急「草津四万」は、コンセント未設置車での運用入りがありますが、ビジネス客の多い「あかぎ」は、コンセント未設置車での運用は不適切、というのが理由のようです。(多客期には、E257-2500系を使用した臨時特急「草津四万」もまれに運転されます)

ちなみに、この“青”のE257-2500系による運転は、今年春のダイヤ改正以降も続く(コンセント未設置編成に設置工事を受けるという情報が得られません)でしょうから、平日朝の「あかぎ6号」は、朝早く起きた時に撮影しようと思っています。



MINOLTAα-9をメーカーに修理依頼 2023年秋  Part2

受付から6日後の土曜日に、見積もりのメールが届きました。
結果、α-9は「弊社純正部品に交換」ということで、修理ができることになりました。尚、Tokina 100-300mmF4は、フォーカスギア欠けありという診断で、「修理部品払拭のため未修理返品」ということでした。修理金額は、技術料、部品代で税込み2万円とのことでしたが、修理できるのは今のうちですので、修理を依頼しました。何はともあれ、α-9は修理可ということでホッとしました。

α-9の露出補正ダイヤルは、α-7D(フィルムのα-7も同じ構造です)と異なり、ダイヤルをつまんで引っ張り上げた(フィルム手巻き式のカメラのように)後、1/2か1/3かにセットする方式です。他のαボディと部品が共用できないので不安でしたが、まだ部品があって助かりました。

表向きは、コニカミノルタ製品の修理受付は終了、という事になっていますが、MINOLTAのカメラボディやレンズは、メーカーの修理受付終了品のリストには記載されていません。MINOLTAのカメラボディに関しては、修理受付は一応「可」で、その回答は、修理技術者が直せるか、部品があるか、という点に懸かっているということなのでしょう。MINOLTAのカメラやレンズも、中野の窓口に持ち込めるのであれば、一応、預けてみるべきだと思います。

なお、メールで修理の見積もり返答もできるのですが、この場合、別途費用がかかる(私の場合)ので、平日休の日に、ケンコートキナー修理受付窓口に電話をしました。(どの会社も同じだと思いますが、この場合、なかなか電話がつながりません)3回目の電話で、α-9の修理を依頼すると、後で、修理完了及び引き渡し可能日のメールが届くとのことでした。その3日後に、ケンコートキナーから、明日以降、窓口で引渡し可とのメールが届きました。

 

ケンコートキナーで修理を受け、返却されてきました(100-300mmF4は未修理返品)

付け替えられたダイヤルは、新品だそうです。

修理明細です。(一部)


35ミリポジフィルムの単価が、現像代込みで最低でも4300円程度になってしまったので、もはや、以前のように秒5.5コマで10枚超連写するということは無くなりましたが、レリーズ1回を大事にして、撮影をしていきたいものです。

供給不足が騒がれているものの、カラーネガは、現像代込み2300円程度に収まります。ポジのユーザーが激減したとはいえ、もう少し安くなって欲しいものです。とはいえ、逆にこの価格は、メーカー側の企業努力があってこその値段なのかもしれませんが…

なお、2020年にも、コニカミノルタ及びトキナー製品をケンコートキナーに修理依頼したことがありました。
この時は、MINOLTA X-700と同28-70mmF2.8Gは修理可で、Tokina AT-X150 150-500mmF5.6とTokina AT-X304AF 300mmF4は、修理不可でした。
しかし、修理不可で返却されたTokina AT-X304AF 300mmF4は、内部清掃されていました。事実上、無料で修理されて返却された事になります。
古い話ですが、機会があれば、この件についても記事にしてみようかな、と思っています。

MINOLTAα-9をメーカーに修理依頼 2023年秋  Part1

2022年秋に、ケンコートキナーは、コニカミノルタ製品の修理受付を終了すると発表しました。但し、このメーカーアナウンスには、多少不可解な点がありました。リストの中にミノルタのカメラボディが入っていないのです。(詳細はこちら:https://www.kenko-tokina.co.jp/information/KonicaMinoltaRepairServiceFinish.html )
そんな折、フィルムカメラのMINOLTAα-9の露出補正ダイヤルが破損してしまいました。

撮影中に露出のステップを1/2からに1/3に変更しようと、露出補正ダイヤルを上に持ち上げたところ、まるでシャンパンファイトのコルク栓のように、ダイヤル上部が勢い良く「吹っ飛んで」しまいました。慌てて地面に落ちた部品を拾い集めましたが、直せる気がしません。

帰宅後に撮影しました

メーカーに依頼するしかありませんが、数ヶ月前にサポート終了のアナウンスがあり、受け付けてくれるのかどうかも不安でした。

しかも、以前に比べて、ポジフィルムでの撮影機会が大幅に減っているので、35ミリフィルムカメラに、万単位の修理費を費したくはありませんでした。
とはいえ、超音波駆動レンズに対応している手持ちのα-9はこの1台だけですし、手持ちの超音波駆動レンズを有効に活かすためには、露出補正ダイヤルは不可欠です。なにはともあれ、ケンコートキナーに持ち込むことに決めました。

上記の件の翌月の9月に、MINOLTAα-9を持ち込みました。東京の中野にあるケンコートキナーの修理受付窓口(同社のサービスショップ内)は、日曜日の午後4時過ぎでしたが、(この日は)閑散としており、すぐに受付けていただきました。
ついでに、Tokina AT-X340 AF(Ⅱ)100-300mmF4に不具合があるので、このレンズと合わせて提出しました。

当時、サービスショップ内に2人いらしたのですが、受付対応の方が、α-9を見るなり「ミノルタ製品の受付はできるかなあ、α-9」ともう1人の方に話しかけられました。すると「修理技術者が対応できるかだよね〜コニカミノルタからだからね〜」とコメントされていたので、私は、内心、無理かなあ…思いました。
とはいえ、何はともあれ、修理担当者宛に送ってくださるとのことです。

同時に持ち込んだ、Tokina AT-X340 AF(Ⅱ)100-300mmF4は、AF時の最短距離に達すると、大きな音を立てて作動不能になってしまうので、オイル交換で治るかな?という気がしていました。このレンズも、とっくにメーカーの修理不能リストに入っているのですが、受け付けてくれるとのこと。
逆に、こちらは直らなくてもいいかなあ(MF使用時には完全に正常に作動するので、AFの使用率などからしても大きな障害にはならないため)と思っていました。

修理の見積もりについては、1週間程度かかるとのことで、メールでの見積もり連絡をお願いしました。蛇足ですが、SONYの見積もり連絡は電話のみです。基本的に、平日の電話に出られない身としては、この連絡手段が選べるのはありがたいです。


続きはPart2で…

西武の「黄色い電車」

今秋、西武が、東急と小田急から通勤型電車(計100両)を有償で譲り受けるとの報道がありました。この件に関しては、既に各所で語り尽くされた感があり、この場でコメントをする気はありません。とはいえ、少し期待を持つ件があります。

それは、譲渡車総数の内の4割が鋼製車の小田急8000形だからです。西武で運用するにあたっては車体デザインの変更が必須ですが、小田急の白ベースの車体にテープ貼りをして営業運転をするとは考えにくく、車体全体を塗装し直すでしょう。
可能性は低いでしょうが、8000形が西武伝統のレモンイエロー1色になる姿を期待しています。

黄色(レモンイエロー)は、西武が1969年に「完全新性能車」を導入して以来、原則として鋼製の通勤電車には、必ず採用してきたカラーです。
1992年にステンレス車体6000系を導入して以後は、鋼製車を除いて、新型通勤型電車の車体色は、西武のCIカラーになりました。しかし、沿線の利用客のみならず、世間全体で「西武の黄色」を支持する声が多いのは事実です。

西武も「黄色い電車」の人気度の高さを認識しており、新製増備を進めている車両のドア付近のアクセントカラーとして、部分的に黄色が採用されています。これは、単にデザイン上の配慮という訳ではなく、「西武の黄色」を継承したいという意思によるものだそうです。

以前、西武線のホームで電車を待っていた際、就学前と思しき子供が、黄色い電車の到着を期待していたようで、傍にいたお父さんが「黄色い電車じゃなかったね。普通の電車だ」(その時の電車は「スマイルトレイン」30000系でした)というシーンに遭遇したこともありました。現在の西武は、CIカラーの浸透を第一としており、新たに「黄色い電車」が登場する可能性は低いでしょう。とはいえ、譲渡車の内、せめて1編成でも黄色にしてくれれば、と思っています。

話がそれますが、東急車の9000/9020系は、ロングシート(車端部のクロスシートの処置は不明)のまま秩父線に導入されるようです。置き換え対象の4000系は、2扉セミクロス車でトイレ付なので、日中や土休日は、大幅なサービスダウンとなるでしょう。
秩父線で運用を開始するにあたって、暖房の強化やシートモケットの張替えなどの工事は行われるでしょうが、居住性の点でマイナス評価を受けそうな気がします。逆に、9000/9020系の導入線区となっている狭山線多摩湖線では、車端部のクロスシートがそのままであれば、日中や土休日は乗客側から評価されるかもしれません。

40年以上使用されてきた車両も少なくなかった2000系ですが、急速に淘汰が進み、近く、全車退役となると思われます。補助電源装置が電動発電機であることが、ネックとなったようです。(写真の編成は廃車されています) 
Sonyα550 MINOLTA 28-85/3.5-4.5new、1/80、F5.6、ISO200

この2000N系(本計画の淘汰の対象です)は、スタイリングの良さと相俟って、最も人気が高い形式です。(写真は初期製造型。この編成は廃車されています)  
Sonyα550、SIGMA APO 70-200mmF2.8 EX DG、1/500、F6.3、ISO200

2000N系更新車です。(本計画の淘汰の対象です)延命を目的に大幅なリニューアル改造を受けましたが、当初の計画よりも早く引退することになりました。
Sonyα900SIGMA APO 70-200mmF2.8 EX DG、1/500、F4、ISO160

西武9000系は、工場従業員の技術の継承を目的として製造された形式でもあります。2000年代にVVVFインバータ制御車化されており、全製造数の2割が支線で残存していますが、本形式も淘汰の対象とされているようです。(写真は本線系統で使用されていた頃の姿)
KONICA MINOLTA α-7Dijital、SIGMA APO 70-210mmF3.5-4.5M
ACRO 、1/500、F4、ISO200

「黄色い電車」のパイオニア101系のモデルチェンジ車である101N系です。リバイバルカラーではない黄色の101系は、この牽引車兼用仕様車 である263F編成の4両のみとなりました。(写真は牽引車として使用中の姿) 
Sonyα65、SIGMA APO 170-500mmF5-6.3、1/250、F7.1、ISO800

アルミ車体の6000系1編成を全面黄色にラッピングして(会社創立100周年記念企画として2015年春から1年1ヶ月間の期間限定運行)運転したこともありました。
Sonyα550、MINOLTA 24-85/3.5-4.5(I)、1/100、F4.5、ISO200

譲渡される予定の小田急8000形です。西武ではどのような姿になるのでしょうか。
Sonyα550、MINOLTA 28-105/3.5-4.5(I)、1/640、F5、ISO200

東急から譲渡される予定の9000/9020系(写真は9000系)です。如何せん40年近く経過している車両もありますので、どのような改造が加えられるかが気になります。 (写真は東横線で使用されていた頃の姿)
Sonyα550、Tokina AT-X340 AF 100-300mmF4、1/500、F5、ISO200

 

労基署に行く Part4

この後、会社の重役(兼工場長)から個別に呼び出しを受けました。工場長は、このような不正が長期間に渡って行われていることを知らなかったそうで、労基署に行く前に、社内の誰かに話をして欲しかった。という旨のコメントをされました。なお、工場長は、分厚いクリアファイルを手にしていました。労基署から、この件に関しての資料提出を求められていたと思われます。

その後、工場長から再度の呼び出しがあり、(このときは所属上長も同席)、不払い分の残業代が決まったので伝達するとのことでした。各月ごとの残業時間についての報告と、残業代が次の給料日に合算で振り込まれるとのことでした。

事実、給与の振込日に、労基署の担当者の方から電話がありました。電話の内容は、不払い分の残業手当が振り込まれているか、とのことでした。
その日は、ATMに行けなかったので、後日、確認をするという返事をし、後日、銀行で記帳したら、通帳には不払い分の残業手当込みの数字が記載されていました。電話で、その旨を労基署の担当者の方に伝えると、この確認事項をもって、この案件は全て終了となるということでした。

後に、無償での深夜残業を命じた所属上長は、労基署に今回の件でのレポートを提出することになり、そのレポートは、私の職場にも手渡されました。

また、この後、3ヶ月後に、私の時間外労働は復活しました。人手不足の職場ですから、そうなるだろうとは思っていました。ただし、残業手当は正当に支払われています。

私と同様のケースで労基署に届け出る場合、以下の点を押さえるべきだと思います。

〈届け出の際に必要な資料〉
・時間外労働分不払いの期間の給与明細(コピー可)
・時間外労働不払い分の期間の残業日時及び総残業時間の記録(明細)(届出者が作成)
・「会社公認」の勤務記録(通常は会社側のみにある)

ここに記すまでもありませんが、上記3点のうち、労働者側が提出する上の2点は必須でしょう。会社が労働をさせたとされる「公式」の記録がないと、労基署は対応できないはずです。私の勤務先のタイムカードは電子式ですが、印字または手書きのタイムカードであれば、タイムカードのコピーも提出すべきでしょう。

Part2で触れるべきでしたが、労基署に届けた際に、会社側に勤務記録が存在するかどうかを聞かれました。その時に、コピー用紙を手渡され、手書きで作業日報(勤務記録)の様式をスケッチしました。この作業日報のスケッチが決め手となったとみていいでしょう。

私の勤める会社では、作業日報を、当日の作業終了後に会社に提出することになっています。この日報が会社に残っていたので、会社は不正を承認(発見)した訳です。

その日報の内容ですが、作業日、使用マシン、記載者名(作業日報に記入する場合は、必ず記入する)、作業順序、製品受注番号、準備開始、作業開始、作業終了、まとめ終了の各時間、仕上げた製品の内容(実際の数量、予備数、見本数、製品の寸法など)、作業内容、作業人数の記入欄があります。この内、作業終了、まとめ終了の時間が定時以降になっており、記載者名に私の名前があったため、私が時間外労働を行っていた証拠となったと考えられます。

なお、同僚は私の他2人ですが、うち、1人は記載者名に名前を記入しない日があったため、その分の時間外労働は認められず「泣き寝入り」になりました。

繰り返しになりますが、「会社公認」の勤務記録がないと、届け出をしても労基署は対処できないと見ていいでしょう。この点は必ず抑えておくべきでしょう。

新聞などで、残業代未払いに関する報道を時折見かけますが、そうした記事を読んでみると、その背景には様々な理由があって残業代未払いという結果を生むようです。
残業代は、詫び代の意味を含んだ手当でもありますので、当然、労働者は残業代を請求できる権利があります。ただ、私の場合は、労基署に行く前に、会社のトップ若しくは重役に打ち明けてからでも良かったかな、と思いました。仮に、それでもらちが明かない場合は、然るべき所に訴えるべきだと思いますが…

なお、この記事は、執筆時点で届け出から1年以上経過しています。また、労基署に同様のケースで届け出た場合、この記載の通りに解決するとは限りませんので、あくまで体験談として参考にしていただきたく存じます。

 

 

労基署に行く Part3

労基署に届けた日から、丁度1週間後に労基署(応対をしていただいた方)から電話があり、1週間後(届出からに丁度2週間後)抜き打ちで立ち入り検査をするとのことでした。
その後、全く変化はなく、相変わらず遅い時間まで、無償での残業を続けていました。労基署から電話を受けてから1週間経ちましたが、いつも通りの勤務で、抜き打ちは検査は明日以降なのかなあ、と思っていました。

夕方の定時時間が過ぎて1~2分経った時、所属上長から「今日は、君の代わりに課長が勤務に入るから、今日は帰っていい」という指示を受け、この日は定時に帰宅しました。この時は、既に立ち入り検査が行われていることを知らずにいたのですが…

翌日、いつも通りに出勤したら、私の同僚から、「労基署に行ったんだって」と声をかけられました。労基署は昨日の内に、立ち入り調査を行っていたのです。昼の休憩時間に携帯電話を見たら、労基署から電話が入っていたので、労基署に折り返し電話をしました。

労基署の担当者の方と電話が繋がりましたが、電話の内容は、以下の通りです。

・昨日から調査を行っているが、あなたは、今の時点までそのことを知らされずに勤務しているか。
・昨日、社内で従業員に対して聞き取り調査を行い、私(及び部署全体)が時間外労働を行っていることについては証言があったものの、いつの日に何時まで残業していたかまでは解らない。
・明日も労基署の担当者の方が会社に出向いて、引き続き調査を行う。

とのことでした。なお、私は、この日以降毎日定時に帰宅することになりました。

翌日の朝、出勤すると、私の同僚から、「今、社内で大騒ぎになっているぞ」と聞かされました。恐らく、労基署の担当者の方が、各部署を回られて調査をされたのでしょう。

このあと、労基署から私宛に電話があり、折返し電話をしたところ、私の所属部署に関しての質問があり、会社の組織(同僚や所属上長など)について聞かれました。その後で、現場の課長の上(無賃での残業を指示した所属上長)の上長は何という方ですか、と聞かれたので、私は、その名前をフルネームで答えました。この後、更に調査を続けるということでした。

このあと、別の日に労基署から私宛に電話があり、立ち入り調査に対しての結果が伝えられました。その結果、会社は「実際の勤務時間の記録が残っている以上、会社としても認めざるを得ませんね」と回答があったそうで、私が提出した、時間外労働時間の明細の通りの残業手当が、後日支払われるだろうということでした。立ち入り調査については、この時点で終了となり、不払い分の残業代が、後日会社から支給されることが、「内定」しました。

また、翌日(だったと思います)に、私の同僚が、勤務時間中に労基署の聞き取り調査(個別に各40分~90分程度)を受けました。
私の同僚は、無賃で深夜(または終日)残業(長い場合で午前9時位まで。この場合の1日の勤務時間は23時間以上)を年中行っていたのですが、日報に記載者名を記入していた分に関しては、不払い分として認められ、後日その分が支払われたそうです。(公共交通機関を使わないで通勤している人は、納品の関係から、当日の全工程が終了するまで勤務することが常態化しています)

Part4では、実際に未払の残業代が支払われるまでの経過をお話します。